第1話 ポトリスとの出会い
バンダイGVによる「ポトリス」のサービスが始まったのは2001年10月ですが、その存在を知ったのは11月頃であった。プロバイダの発行誌の特集記事からで、ぱっと見て「面白そうだ、ちょっとやってみるか」と思ったのだ。「操作が簡単」、「韓国で大ブレイク」、「ついに日本上陸」、といった言葉が並び、インターネットを介して対戦するという未知の内容に興味が惹かれないものはないのだった。
だが、当時は宅配便配達の仕事の方が忙しく、朝から夜遅くまで働いた上に休みが週に1回あればいい方であった。その上大学卒では考えられない程の安月給である。大学を卒業してから一旦半導体工場に入れたもの、何と3ヶ月で切られてしまった。そこにいた時と比べて稼ぎは安い上、休みが少なく各種保険や年金もないとあっては、はっきり言って他の職に転職すべきである。
半導体工場を切られてからは満足できる職に就けないでいる。職があって就けたとしても専門系には程遠く、この様に労働条件が悪いものにしか就けないのである。何とも情けない限りだ。半導体工場を切られた影響は計り知れないものだった。当時は年齢が30歳より前であったが、中高年とあまり変わらない条件と思えるものであった。
そんな状況ではとても「ポトリス」に手を付ける余裕などなかったのだ。はっきり言ってネットもままならない状況だったのだ。当時はまだ自分のホームページも運営していなかったのですが、開設しようと思ってもできない状況である事は間違いないのである。ただ、これまで行ってきた縦走の記録を、ホームページを開設する事によってより多くの人に見ていただけるのではないかという考えは持っていた。それは後にポトリスを始めて以降動く事になるのですが。
それでも、半導体工場とそのすぐ後に勤めた仕事とで雇用保険をかけてもらった期間が半年以上あり、失業保険を受給できる資格は有していた。しかも、いつまでも受給せず長引かせていると期限が過ぎてしまい、受給できなくなるから尚更である。できるなら切りのいい所で宅配便の仕事を辞め、失業保険を受給して就職活動モードに入りたいものであり、12月のお歳暮の繁忙期が終わったらそうする事とした。
それこそ、12月に入ってからは上旬に1度だけを除き、大晦日まで全く休みがなく、25日余りの連勤となった。これは2015年10月現在においても、自身にとってこれ以上上回る事のない記録である。その上夜も遅く、ほぼ連日15時間以上の勤務であった。20日過ぎに宅配便の仕事を辞める事を伝え、年末年始をもって辞める事とした。