かえる記念館になって丸20年

23日にギルド「かえるの家」が「かえる記念館」となって丸20年になる。ギルドマスターの引退をきっかけにギルドが崩壊したが、最終的にギルド存続を断念してギルドサイトを保存する方向とした。「頑張ってギルドを存続して欲しい」という声が一部あったもの、下記の様な経緯もあり、ギルドを引き受けて再建するのは困難であった事を改めてご理解していただきたいです。果たして、ギルドの再建は仕事や人生を捨ててまで引き受けなければならなかったのか。

有料化間もない2003年1月の年明けに初代ギルドマスターが引退され、ギルドマスターやギルドサイトの運営を存続メンバーの誰かが引き継がなければならなくなった事がきっかけでした。しかし、当管理人は当時仕事が非常に忙しく、ポトリス自体休止中という状況であった。メンバーの状況を見極めてギルドをどうするかをも、他の存続メンバーに丸投げしてしまったのです。しかし、引退者は想像以上に多く、存続メンバー自体ほとんどいないに近いものがございました。よって、他の存続メンバーにお願いするのは間違いであったと言わざるを得ないものがございました。

又、当管理人は前年夏~秋に北アルプス主脈全山縦走を達成して経済的に困窮しており、まずは撮影したフィルムを現像してプリントするための資金も作らなければなりませんでした。フィルムは17・18本で写真は700枚近くございましたが、その額は数万円と旅費と比べてもかなりの額になりました。デジタル化の前にフィルムの現像が必要であり、撮影可能枚数を含めて昨今のデジカメ時代では考えられないものがございます。更に半導体工場を切られてからの人生再建が最優先で急務でした。その様な状況下においては時間を作るために仕事を辞めるのはナンセンスであり、例えギルドを引き受けなければならない状況下にあっても、断らなければならない状況と言ってもいいものでした。

ギルドを再建するにはすぐにでも引き受けなければならない状況であり、さもなければギルドは活動休止状態になるのは時間の問題でした。他にメンバーが出ない以上、本来であればギルドの活動をどうするかという決断も行わなければならなかったのですが、忙しくて先送りになったのが現実でした。ギルドを何とか継続したいという思いと、現状引き受けるのは厳しいという葛藤があり、「何でこんな時に引退なんだ!」という思いをも抱いていたものでした。

当管理人がサイト管理のみならずギルドも引き受けたが、正直な所まだ仕事が落ち着いたとは言えず、ギルド再建には至れませんでした。基本はサイト管理で、ギルドはメンバーに声掛けをし存続をどうするかという確認を行っている所でした。夏場はより動ける様になった期間があったもの、それだけできなかった時間が経過しており、活動メンバーが見られなくなりました。最終的に8月にギルド存続を断念し、「記念館」化する事を表明しました。ギルド再建は轟絶的に暇人でなければ無理なものであり、基本メンバーの状況が芳しくなければ断念していました。

年間通してみて夏場だけ手が空いても、また秋から冬そして春になれば忙しくなり、夏まで手が空かないというのではコンスタントに活動できないでしょう。活動メンバーが充分に揃わなければギルドの衰退につながります。できるならそういう点も考慮すれば、ギルドマスターは引き受けるべきではなかったでしょう。もっとも、このギルド自体初代マスターが1年も続かなかったのですから。

ならばメンバー一人だけで存続すればいいのではないかといえば、それでは最早ギルドとは呼べなくなります。夏以降は他のギルドに入る事も検討しておりましたが、ギルドによっては他のギルドとの掛け持ち禁止の所もございました。ポトリスのサービスがガンホーに移行してからですが、2004年秋に活動再開したポトリストに入りましたが、当初は掛け持ち禁止でした(2006年春に撤廃)。もっとも、かえるの家は既に記念館になったので問題なかったですが。

サイトの方も特に夏場以降は制作ソフトに不具合が生じ、リンクページなどで本来表示される画像とは違う画像が表示されるという状態でした。当然ながら当管理人の登山サイトにも影響が出ていたため、当面はテキストエディタで編集し直して対処するしかなかったのですが、秋になるとPCに不具合が生じ、修理に出して2ヶ月近く使えない状態となりました。

ただ、登山サイトは翌年6月にサーバー移転・統合(当時は無料サーバー2つに分かれていた)を伴うリニューアルを予定しており、新たな制作ソフトの導入も予定していました。登山サイトのサーバーへの移転となる記念館化はその時で良かったのではないかと言えましたが、上記の通りギルドサイトの表示に不具合が出ており、できるだけ早く復旧しなければなりませんでした。

やはりこの様な状況においては、マスターを引き受けてもギルドを立て直すのは無理ゲーと言える程困難であり、ギルドを潰した責任を負いたくないというのはもっともである。更にはギルドサイトの管理もあるため、二重の負担になる。それは、ウェブサイトを作成・運営した事がないとなれば大きな負担である。そうなれば、当時の乏しい存続メンバーの中で名乗り出る者がいないのは当然であろう。

ただ、仕事を辞めてまでギルドを再建する事は想定しておらず、ギルドよりも人生や経済的再建を優先してしまいました。更に就職超氷河期であり、思う様に就職できずに何とか妥協しながら仕事をしていった感じです。半導体工場にいた時とは違って経済的にも困窮しており、ニートの様な状態をずっと続けるのも困難な状況でした。

 

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